東京マイナス2時間の世界
23年間の人生のすべてを東京で過ごしてきた自分にとっては、毎朝の満員電車も、足早に歩くサラリーマンも、清潔だがどこか無機質な街の風景も、すべてが当たり前の日常で、受け入れるしかない現実である。
しかし、東京人も当然東京生活で消耗し、しんどくなることがある。
そんなときわたしは東京マイナス2時間の世界に思いを馳せる。
カンボジア第二の都市、シェムリアップの風景を頭に思い描く。
シェムリアップには学生時代に2回訪れた。アンコールワットのある街で、外国人観光客も多く、発展している。
パブストリートと呼ばれる飲み屋街には、バーやクラブが軒を連ね、外国人観光客や地元のカンボジア人、夜になるとドラッグを売り出すトゥクトゥクドライバー、売春婦などありとあらゆる人種が入り乱れ、クラブから漏れる大音量の音楽に合わせて道の真ん中で踊る。
さながらバンコクのカオサンストリートのような雰囲気だが、その喧騒の中、耳をこらすとある音が聞こえてくる。
地雷被害者の奏でる民族音楽。
ガンガンに流れるクラブミュージックの合間に、何とも言えないノスタルジックな音色が、溶け合うでもなく、かといって不協和音のようになるわけでもなく、ただ共存している。
それはまさにいま発展期を迎えているカンボジアの様子を表しているようで、観光客が昼から飲み、騒ぐ街のなかでもポルポト政権の爪痕が確かにまだ存在していて、決して無視してはいけないんだと思わされた。
カンボジアのことを思うといつも、何とも言えない不思議な感覚に陥る。
東京からマレーシア経由で約14時間。時差はたったの2時間。同じアジアの国なのに、東京にあるような地下鉄や、高層ビルや、清潔な街並みはない。
接客態度が悪いとコンビニ店員にキレる老人も、せかせかとロボットのようなサラリーマンも、どこにもいない。のんびりとゆっくりと時間も人も存在している。
カンボジアでトゥクトゥクドライバーとして働く友人は、仕事の合間にほとんど独学で日本語を勉強し、ネイティブレベルに喋れる。いつか日本に行きたいというが、一日数ドルの稼ぎでは無理だと肩を落とす。
日本の大学生のほとんどは自分もそうだったように、たいして勉強もせず、少しバイトすればカンボジアに旅行に来て、好きなものを食べ好きな酒を飲み、好きなだけ遊べるのに、優秀な彼にはそれができないのは、単に生まれた環境が残念だったらなのか。日本に生まれ東京で生活をしていることはやはり非常にラッキーで、恵まれているのか・・・
答えの出ない問いをずっと考えている。
だから、東京で仕事や人間関係に行き詰ったとき、わたしは東京マイナス2時間のシェムリアップに思いを馳せる。
そうすることによって悩みが晴れるだとか、頑張ろうという気持ちになるとかではなく、
ただ、あの土地で今日も働くトゥクトゥクドライバーたちや、お祭り騒ぎの旅行者たち、客引きする売春婦、アンコールビール、クラブの喧騒、手足のない地雷被害者の楽団員たち・・・
それらが、たしかにこの瞬間も存在していることになんだか心が救われるのだ。
そして、またいつかわたしはあの土地を訪れるだろう。