無目的人生

常に人生さまよっているアラサー。自由人で超ポジティブな台湾人夫がいます。

HelloTalkに登録して1週間使ってみた感想

今度こそ中国語を勉強しようと決意し、アウトプットする場所としてHelloTalkに登録してみた。

App名: HelloTalk ハロートーク 英会話、デベロッパ: HELLOTALK FOREIGN LANGUAGE EXCHANGE LEARNING TALK CHAT APP https://apps.apple.com/jp/app/hellotalk-%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF-%E8%8B%B1%E4%BC%9A%E8%A9%B1/id557130558

語学学習者向けの言語交換アプリだ。
無料会員は、自分の母国語と、勉強したい言語を1つ選択することができる。(有料会員になると、複数の言語を勉強中に選ぶことができる)
勉強したい言語については現在のスキルを設定することができる。初級か中級かといったように。

わたしは母国語が日本語で、勉強したい言語は中国語。ステータスは初級で登録。

すると、システムマッチというのがあり、言語交換できる相手、つまり母国語が中国語で勉強したい言語が日本語のユーザーが表示されるので、メッセージを送ったり、友達に追加したりできる。


HelloTalkのアプリ内で主に出来ること(無料会員)は以下の通りだ。

①個人チャット

②電話機能

③添削機能

便利だなと思ったのは、添削機能。
たとえば、勉強中の言語で日記を書いたり、わからない文法などについて投稿すると、ネイティブたちが反応してくれる機能で、わたしは中国語で1日1回以上文章を投稿して修正してもらっている。

語学の勉強は独学だとインプットだけになりがちなので、このアプリをうまく利用してアウトプットの練習をしていけたらいいなと思う。

泉佐野市 グリーンウッドホステルに泊まる

転職したらしばらくは働き詰めになると思う。
ということで、1週間ほど台湾に行くことになった。

今回は訳あって関空からの飛行機を使うのだが、午前中の便ということで、前日の夜、大阪市内から泉佐野市へ移動し、ゲストハウスで一泊した。


今回泊まったのはグリーンウッドホステルさん。(外観を撮り忘れてしまった)
南海泉佐野駅から徒歩5分。

部屋は女子ドミトリー

可愛いし、化粧台なんかもあって女性には嬉しい。


共有スペースもシンプルながらオシャレで素敵。


わたしはひとり旅のときはほぼ100%ゲストハウスを使うので、国内だとこれまで20軒くらい泊まったのだが、今回のように、都市部や観光地ではなく空港近くにあるゲストハウスに泊まるのは初めてだった。


大阪のゲストハウスは、断トツで外国人が多いと思う。そして彼らは長期滞在するケースが多いので、都市部のゲストハウスに泊まると、1週間以上連泊しているゲストに出会うことも珍しくない。
そうなってくると、東京出身のわたしよりも大阪に詳しくなっていて、オススメスポットを教えてくれたりする。

しかし今回のグリーンウッドホステルは、翌日の早朝フライトに備えて、あるいは夜の便で関空に着いたので大阪の中心地まで行く時間がないといった旅行者たちの中継地点という役割が大きく、連泊するゲストは少ないと思われる。
実際翌朝8時の時点でほとんどのベッドが空だった。

もちろん、泉佐野市にも観光スポットが無いわけではないだろうし、夜にブラブラと出歩いたときには良い感じのお店がいくつかあったので、ゆっくり泊まってみるのも楽しいかもしれない。


観光地のゲストハウスだと、その場であったみんなで飲みに行ったり、一日中観光地を一緒に巡って仲良くなることが多々あるのだが、こういうゲストハウスだと皆次の旅行に備えてパワーをセーブしているようなところがあるので、密な交流は少し難しいかもしれない。
一方で、どこから来て、次はどこに行くのかという話題で盛り上がることができて、「明日の朝起きたらもういないかもしれないけど、残りの旅行楽しんでね!」といってベッドに入るのもなかなか良いものだ。
運が良ければ、翌朝空港でバッタリなんてこともあるかも…?

関空を使うなら是非泊まってみてください!

林真理子 『野心のすすめ』を3年ぶりに読む

新しい仕事が始まるまで少しだけ休みがあるので、近頃は資格の勉強のほかに、本を読むようにしている。

最近家の本棚を漁っていると、懐かしい本が出てきた。林真理子著『野心のすすめ』である。
この本を母にもらったのは、確か大学3年生になる直前であったと思う。その頃、大学の成績は最悪で、留年スレスレ、バイトしては旅行にお金を使い果たし、20代のうちはフリーターでもやりながらふらふらしたいとのたまうとんでもないクズであった。

そんな私を見かねて、母がこの本をプレゼントしてくれたのだ。仕事をするってどういうことか、これを読んで自分の将来のことちゃんと考えなさい、と。

林真理子の著作は『ルンルンを買っておうちへ帰ろう』しか読んだことがなく、テレビにたまに出る派手好きな作家、という程度のイメージしかなかった。


『野心のすすめ』を読んだ後でも、そのイメージはあまり変わらなかったのだが、しかし、林真理子自身の苦労話、売れない時代の生活から這い上がって成功する様が書かれているのはおもしろかった。

当時大学3年生の自分の中で一番印象に残ったのは、飛行機のエピソードである。
この作品の中で、林真理子は、かつて若い頃に共にバックパッカーとして貧乏旅行をしていた2人の女性が、数十年経って中年になり、再び旅行に行こうとなったときの例を書いている。

ひとりは仕事が成功してかなり稼いでいる。旅行はもっぱらファーストクラスを利用しているので、今回の旅行もファーストクラスの飛行機で行きたい。
一方もうひとりの方はというと、あまりお金の余裕がなく、長距離の旅行だってエコノミークラス以外の選択肢を考えない。

さて、この2人が一緒にニューヨークへ行こうと思ったとき問題が起こる。
お金持ちの彼女が友人に合わせてエコノミークラスに変えるとする。しかしファーストクラスに慣れてしまった彼女には苦痛だろう。
かといって、2人がそれぞれファーストクラスとエコノミークラスとに分かれて搭乗し、じゃあまた現地で会いましょう、なんてのも気まずい。
昔は一緒に旅行できた2人にこのような差が生まれたのは紛れもなく「やってきた仕事」と「稼いできたお金」によるものである。

このエピソードを読んで、当時のちゃらんぽらんな自分は少し真剣に就活を考えるようになった。
今の自分はよくても、中年になったときの自分が惨めな思いをしないように、ある程度の職についてなきゃいけないんだと。
公務員試験を受けたのもその気持ちによるところがかなり大きい気がする。



最近読み返してみると、当時は気にも留めなかったところに引っかかってしまった。

"いま「低め安定」の人があまりに多いんじゃないでしょうか"

「低め安定」。これって公務員だなあと思う。
なんのスキルもないし、役所から出たら生きていけないような人がたくさんいる。少ない給料だけどやめない限り身分は安定している。
いやもちろん稀にものすごく優秀な人もいるのだが、残念なことに体良く仕事を押し付けられるばかりで、正当に評価されることはあまりない…

林真理子自身も「低め安定」の立場に甘んじて適当に生きていた時間もあったようだが、自己顕示欲と、こんなところで終わる人間じゃない!という自分を信じる力で道を切り開いていった。

だけど、低めだとしても安定感はあった生活を、何かの挑戦のため捨てるということは、一度は「低め不安定」を経験しなければならない。そこから頑張って這い上がれば「高め不安定」になれるし、もっと努力すれば「高め安定」を手に入れられるのかもしれない。



『野心のすすめ』は改めて仕事に真剣に向き合おうとか、これから就活しようとかいう人は絶対に読むべきだ。
働くことの難しさを感じるとともに、働くって面白そうだなと思わせてくれる、力強い作品だから。

野心のすすめ/林真理子

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感想(1件)

公務員からの転職。職務経歴書に書くことがない・・・

公務員を辞めよう。と思ってすぐに転職サイトに複数登録しました。

辞めようと決めたのは、役所の仕事の仕方に疑問を持ち、単純にストレスが大きく、このまま続けたらいつかつぶれてしまうかも、と思ったことが一番ですが、同時にやってみたいことが少しづつわかってきたから、というのもありました。
自分で言うのもなんですが、割と我慢強い性格だし、なにより人に「格好悪い」と思われることが耐えられないので、本当に逃げたいだけの一心で退職を選ぶくらいなら、耐えて続けようと思ったかもしれません。
だから当然、次の仕事を決めずに辞めるという選択肢は全くありませんでした。

ではやりたいことってなに?

一番やってみたい仕事、それは貿易関係でした。
そして、やるからにはその分野で資格、それも国家資格を取りたい。
それなら通関士の資格を取るために、実務経験を積める会社に転職しよう!なったわけです。




こうして転職サイトに登録していざ仕事を探そうと思ったわけですが、そこでしっかり公務員の転職の難しさを感じることになります。

ぶち当たった壁

①オファーが来ない・・・

職務経歴書に書くことがない・・・本当にない・・・!!

①については、もちろんオファーをくれる企業もそれなりにありましたが、自分の希望とマッチするものは全くと言っていいほどなかった。
まあこれは仕方ないなと。わたしは通関の実務経験を積ませてくれる会社に絞って探していたので、最初からかなり絞られてしまうのはわかっていました。

ちなみに余談ですが、女性限定で募集している仕事の中に、AV女優のメンタルサポートをする仕事というのがありまして、月給30万円・・・賞与あり。一瞬志望動機を考えてしまったのは事実です。



さて、問題は②の方でした。
新卒で公務員しか受けていないわたしにとって当然初めて書く職務経歴書。未知なる存在。

その名の通り今までの職歴を書くものなのですが、これには大変苦労しました。
書くことが無さすぎたからです!

職務経歴書は基本的に形式から分量からすべて自分の裁量で自由な形式で作成します。
とはいっても、書くべき項目は大体決まっています。

わたしが作成したものは大体こんな感じです。

【職務経歴】
【職務内容】
【職務要約】
【自己PR】

この4点に絞って記入しました。分量はA4で2枚です。
職歴といっても、新卒で役所に入って1年とちょっと働いただけなので、何社も働いた経験のある人に比べれば、楽に書けるはずだと思っていました。
実際職務内容までは問題なく書けたのですが、そのあとです。職務でどんな結果を残したか。それも具体的に数字でどれくらいの実績を上げたのか。
一番重要視されるこの項目が、まったく書けなったのです。

もちろん、公務員でも数字で結果を出せる仕事も確かにあります。が、やはり役所の業務のほとんどはそういう物差しでは測れない業務をしているのも事実だと思います。普段の業務の中で気にも留めなかったことが、職務経歴書を書くあたって現実を見せられたわけです。
わたしの役所での部署や仕事内容についてもおいおい書いていくつもりですが、いわゆる典型的な窓口職場。
1日に何人の区民を窓口で捌きましたとか、何枚の申告書を処理しましたとか、そんなものは何の実績でもありません。当然ながら。
なので、もうひたすら、対応の仕方をこういう風に工夫しましたとか、やりがいを感じた部分を誇張して書いたりだとか(実際やりがいなんてほとんどなかった・・・)。
幸い、わたしは業務以外のところで少しだけ目立った活動をしていたので、それを書いてみたり・・・

いずれにしても、満足のいくものは出来上がりませんでした。だから面接に持っていくのが本当に嫌でした。


でも、職務経歴書をうまく書けなかったことが、公務員を辞めるのは正しいんだと改めて思わせてくれた。
よく言われる、とりあえず3年は続けなさいという理論。3年というとちょうど役所では1つの部署に滞在する期間がだいたい3~4年。
じゃあ今の部署であと2年過ごしてから転職活動したら、今よりいい条件で転職できるのか。

断言できます、できません。だって、毎年変化なく同じことを淡々とやり続けるのが公務員の仕事です。
あと何年いても、職務経歴書に書ける実績は作れない。そのうえ、いまより2歳も年を取ってしまう。
やっぱり今が辞め時なんだ。そう思わせてくれました。


もちろん人によってベストなタイミングがあると思いますし、大事なのは自分でベストなタイミングを見つけて実際に動くことだと思います。
でもひとつ言えるのは、迷っているなら小さなアクションを起こすべきです。
転職サイトに登録して世の中にはどんな仕事があるのか、自分は何をやりたいのか考える。
職務経歴書を書いてみて、うまく書けなくて絶望することも、今となっては面白い経験です。

初めてひとりで海外へ行った日

こんにちは。芋子です。

今日は生まれて初めてひとりで海外に行ったときのことを書きたいと思います。

もともと親が旅行好きだったため、小さいころからいろいろなところに連れていかれました。
初めての海外旅行は、小学4年生のときのマレーシア。
その後、アメリカ、オーストラリア、中国、韓国と計5か国を旅行しました。
高校生になって、家族で旅行する機会は自然となくなりましたが、もっともっといろいろな国へ行きたいという気持ちは消えませんでした。


そのころは人生で一番本を読んでいた時期でした。図書館で週に3冊ずつ小説を借りて、お小遣いはすべて古本屋に貢ぐことで使い果たし、授業中も隠れて本を読んでいました。
そして、出会うべくして出会ったのが、沢木耕太郎の「深夜特急」。


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沢木耕太郎自身のアジアからヨーロッパに至るまでのバックパッカーの記録を記したものですが、ほかの旅行記にはない旅の熱狂感とリアル感、ライブ感とでもいうのか、強烈な熱量を感じる作品で、取りつかれたように一気読みしたのを覚えています。
そして、大学生になったら必ずひとり旅をしようと心に誓ったのです。

大学1年生はサークルに入ってみたり初めてのバイトに明け暮れたりしてあっという間に過ぎて行きました。
2年生の4月になってこれじゃダメだ、なにもしないまま大学生活が終わってしまうと思い、思い切ってサークルをやめ、とりあえず夢だったひとり旅に出ようと決意。
行き先は直感で決めたモンゴルです。
思えば小学生のとき、地理の資料集に載っていたモンゴルのゲルの写真をみて、いつかここに行きたいなーとぼんやり感じていたんです。それが頭のどこかに残っていたのでしょう。
しかし周りにモンゴル行った経験のある人なんていないし、モンゴル語はもちろん、英語さえまともに喋れない。挙げ句の果てには貯金もほとんどない。
それでもどうしても今・・・!今すぐに行かなければいけないという、強迫観念のようなものに急き立てられ、できるだけ安くモンゴルに行く方法を調べました。
その結果、NGO団体が主催する、モンゴルで開催されるボランティアプログラムがあることを知り、即申し込みしました。
正直海外ボランティアなんて1ミリも興味がなかった。だけど、成田⇔ウランバートルの往復航空券だけの実費でモンゴルに2週間滞在できる。その間の食費や宿代は団体が支給してくれる。もうこれしかない!と。



こうして、思い立ってからちょうど1か月後、大学2年のゴールデンウィークに、初めてのひとり海外、モンゴルへと旅立ったのです。
恥ずかしながら貯金では往復航空券の代金は到底足りず、母親に7万円の借金をしました。
当時クレジットカードを持っておらず、全財産の現金2万円を握りしめて、今回のために買った60リットルのバックパックを背負って、飛行機に乗り込んだのです。あのときの高揚感は今でも忘れられないものがあります。

その後、行った先でトラブルが発生しお金が足りなくなったり、真面目にボランティア作業しないで遊牧民と夜な夜な飲んでいることをリーダーに怒られたりと、刺激的な2週間を過ごすのですが、それはまた次回、モンゴルの魅力とともに記事にしたいと思います。


いま思い返すと、本当にノープラン・ノーマネー、思いつきと勢いだけで動いたんだなあと。
こういう性格は今も変わっていないしきっとこれからも変わらない気がします。
このモンゴルがきっかけとなってその後も旅行ばかりして、個性的な友人たちと出会い、自分の考え方も変わっていったので、あのときモンゴルに無理やり行ってくれた自分には感謝しています。

今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい

今週のお題「わたしの好きな歌」


ある一曲だけを狂ったように毎日繰り返し聴いてしまう時期がある。


高校生のころ、親が離婚した。3組に1組の夫婦が離婚を選ぶ時代だ。珍しいことじゃない。でも当時の自分にとっては初めての人生の試練であり、重大な事件だった。
わたしと弟は母親についていった。親はそれぞれ弁護士を雇って壮絶な闘いを繰り広げた。争点は「子どもの養育費をいかに払わずすませるか」。
父は自営業でそれなりに稼いでいたはずだが、子どもに使うお金があるなら、自分の遊びや外車に使いたいとはっきり言う人だった。それは、離婚の前からずっとそうだったから、改めて傷つくなんてことはなかったけれど、離婚調停はものすごくエネルギーを搾り取られる作業だったと思う。
母は余裕がなくなり、毎日気が立っていた。それを子どもにぶつけてくるので、家の中が常にピリピリして、最悪だった。
 

家に帰りたくなくて、高校からの帰り道、最寄り駅に降りてから徒歩15分で着く家の周りを、毎日2~3時間徘徊した。iPodで音楽を聴きながら。
いま思うとなんて無駄な時間!(笑)
あの数時間を勉強にでも当てていたらもっといい大学に行けたはずだと今になって思う。でも、当時の自分にとっては必要な時間だったのだ。たぶん。
当時聴いていたのは、エレファントカシマシフラワーカンパニーズ尾崎豊、そして、斉藤和義
1995年生まれの女子高生が聴くにはなかなかシブいラインナップだろう。

中でも一番聴いていた曲が、斉藤和義の「幸福な朝食 退屈な夕食」。

今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道はいつか懐かしくなるだろう


吐き捨てるようにとりとめのない歌詞が並ぶこの曲を聴くと、当時17歳の自分が抱えていたものが少し軽くなるような気がした。
自分の力ではどうにもできない試練だけど、いつかこの時期を振り返って懐かしく思えるくらい、楽しい未来を過ごせているかなとかそんなことを考えていた。
実際辛い時期を無事乗り越えて、楽しい大学生活を送って、この曲のことは忘れていった。


なぜ今になってこんな5年以上前の話をするのかというと、最近になってまたこの曲を毎日聞くようになったからだ。

今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道はいつか懐かしくなるだろう

いま、あの当時よりも歌詞がしっくり入ってくる気がする。
日に日に大きくなる転職先への不安。公務員を2年で辞めて、これからどんな生活が待っているのか想像もつかない恐怖心。

でも、高校生の時抱えていた不安とは大きく違う。
この不安は、自ら選んで自ら作り出したものだ。巻き込まれた不幸ではないし、希望をもって選んだ道だ。

幸福な朝食 退屈な夕食

後悔の数 事は成り行き

このままではこのままです

でもそのままが一番かもよ

今が引き時 僕は気まぐれ

偶然と必然 キャッチする努力

次にこの曲にハマるときは、どんな状況でどんな気持ちで聴いているのだろう。
楽しみにしていよう。

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2019年前半の振り返り。転職する決意をした。

今週のお題「2019年上半期」
 

7月に入りました。芋子(@tktnimnext)です。
せっかくなので2019年上半期の振り返りをしたいと思います。



2019年上半期振り返り

2月頃から仕事について漠然とした不安に襲われるようになりました。去年の夏ごろからうすうす気づいてはいたんです。
「公務員、向いてないな・・・」と。
でも1年目はただただがむしゃらに仕事を覚えるしかなくて、そのストレスは週末や有給休暇を使って旅行をしまくることで現実逃避していました。

それが今年に入って毎日5時間ほどの残業に追われるようになったことで、いよいよ真剣に考えなければ、と思い始めました。
この仕事をあと3年続けたとして、なにも身につかず、次の部署に異動する。それでいいのか???
役所の中でしか生きていけない人間になってしまうのは明白です。
動かなければ・・・と思いました。そして4月には転職サイトに複数登録しました。


公務員を辞めるなら、次の転職先を決めてからにしようと思っていたので、本当に自分が興味を持ってやれる業界、職種はなんなのか、まず考えました。

わたしの譲れないポイントは
①専門性の身につく業種
②興味のある分野で国家資格を取りたい
③一人暮らしができるくらいの最低限の収入は欲しい

以上です。興味ある分野という点で、条件を絞って転職活動をしたので、ある程度の妥協が必要になりました。
6月に転職活動を終わらせましたが、転職先での雇用形態は正社員ではなく契約社員です。

大学卒業後ストレートで公務員の正規職員という、ザ・安定な道を歩いてきた自分にとってはなかなか勇気のいる決断です。
やはり、現時点で資格勉強中、何のスキルももっていない人間の希望職種への転職なんてそう簡単じゃないです。
当分は見習いの立場で、実務経験を積んでいくつもりです。


これが、2019年の上半期です。
半年前には想像もしなかったスピードで人生が動き出しています。
 
また12月には下半期の振り返りをやりたいと思いますが、そのころにはもっといろいろなスキルを身に着けて余裕のある生活をしていると信じています。希望を込めて(笑)


また転職活動や、次の仕事についてはのちのち書いていきたいと思います。