無目的人生

常に人生さまよっているアラサー。自由人で超ポジティブな台湾人夫がいます。

貯金なしで公務員退職はちょっと危険?

お久しぶりでございます。芋子です。


気が付けばもう10月芋の季節・・・そう、芋子の誕生日も迫ってきております。23歳、動きすぎて最近若干疲れ気味でブログもかけなかったのですが、

やはり記憶の新しいうちにいろいろと書き残したいと思いまして戻ってきました。





今回は、公務員退職時に発生するお金の問題について書こうと思います。




2018年4月に都内の役所に入庁。
実家は東京、職場まで家から50分くらいだったので、当然のように実家に居座っておりました。

給料は、地域手当のおかげで役所にしては高い23万円、そこから税金等引かれて手取り18万ほど。

実家なら貯金できたでしょう!と言われがちですが芋子はお金を貯めることが嫌い。
というか、毎月必ずどこかしら旅行していたので本当に全くと言っていいほど貯金できませんでした・・・

ただし、ボーナスが出た時だけはほんの少しでも貯金しようという気持ちが生まれ、結局、退職した今年7月時点では60万円ほどは口座に残すことができました。

ちなみにうちの役所のボーナスは6月、12月支給。
大体月給2か月分です。
なので自分の場合は税金引かれて40万ちょいくらいですかね。
同期の中には、ボーナス支給日の翌日すぐにポールスミスに行き、10何万のアウターを買う人もいましたし、自分のように旅行や飲み会で散財する人もいたと思いますが、わりと堅実に貯金している先輩・同期も多かったように感じます。

やっぱり公務員、真面目な人が多い。男性でも20代半ば~後半で結婚する人が多かったし、同じ課の先輩夫婦は29歳でいわゆる高級住宅街にマイホーム購入。安定感抜群でした。


話を戻しますが、
退職するときに一番考えなきゃいけないのは、お金の問題だと思います。

次の仕事が決まっていて、間をあけずに転職するなら心配はあまりないと思いますが、ストレスやいろいろな事情で、そういった準備が整わずして退職を決心する方も多いと思います。
実家で、家族も理解のあるケースなら何とかなると思いますが、そうでない場合、貯金はある程度あった方がいいですね。


まず、公務員には失業手当がもらえないという悲しい現実があります。
まあ、公務員がリストラされるというのは通常考えにくいので、という理由らしいんですが、なんか納得できるようなできないような。だから、次の仕事を探しながら失業手当で生活しよう、っていうのができないんですね。


その代わり、退職手当がもらえます。

これについては、おそらく各自治体によって違うと思うのですが、わたしの所属していた役所の場合、

退職手当額=(1)退職手当の基本額+(2)退職手当の調整額


という計算方法。

(1)退職手当の基本額とは
給料月額×勤続年数に応じた支給額 というもので、
給料月額には地域手当や扶養手当は含まれないので注意です。
(2)勤続年数は、1年なら支給率0.5 2年なら1.0 10年なら5.0というように細かく決まっていて、
ただし6か月未満は切り捨て
つまり2年目の7月で辞めたわたしの場合、1年のカウントなので支給率は0.5となります。

よって、わたしは給料月額約18万×0.5の約9万円が退職手当として支払われました。


まあ普通1年2年で辞める人はいないので、こんなもんかなあと・・・

退職の翌月中旬には支払いますと言われ、そうか、なら8月は最後の給料20万(残業代込み)+退職手当9万=29万円くらいは入るんだなあ・・・と呑気に考えていた自分の芋頭をはたきたいです。


そう、私は気づきもしなかったのです。最後の月に働いていた給料は、残業代のみしか支給されないことを・・・



思えば去年4月15日、入庁してまだ2週間。まともに仕事もしてないのに口座に渡された給与明細には月給23万がフルに支給されていたことに歓喜した記憶が確かにある・・・


そう、月末締め当月払い というのですか。
公務員を辞めるなら、辞めた当月に支払われる給与が最後の給与となるわけです。
(ただし残業代は翌月退職手当とともに支給される)

恥ずかしながら、そんなことつゆ知らず、完全に8月分に入るお金を頼りにしていた芋子はかなりダメージを食らいました。
だって人生初のひとり暮らし&東京ー大阪間の引っ越しをしたんですよ・・・めっちゃお金かかりますやん・・・(ただのバカ)

約30万もらえると思っていた8月15日、口座を見ると10万円しか振り込まれておらず、久々に震えが来ました。
さらに悲しいお知らせで、前もって6か月分支給していた通勤手当を返せとのお手紙が届き、2万円を納めさせていただきました。というかめんどくさいから振込させるんじゃなくて退職手当からあらかじめ引いとくれよと思った。


うん、こんな無計画人間なかなかいないのでみなさん切羽詰まることはないと思いますが、お気を付けください。
無知はこわい・・・( ^ω^)・・・


 参考になったか全く自身はないのですが、リアルなお金を書いてみました。それではまた。

新生活スタート

8月1日から、新しい仕事が始まった。
また、それに合わせて引っ越して人生初のひとり暮らしもスタート。
いま間違いなく人生の転機に直面しているのだと思う。

新しい職場は人がめちゃくちゃ良い。役所でも人間関係はほとんど苦労せず、恵まれた方だったのできっと次の職場ではひとりふたり嫌な人もいるんだろうなと覚悟していたのだが、本当にありがたいことだ。


仕事は、今はまだひたすら事務作業をやる感じ。
でも通関士さんが身近に何人もいるので、勉強のモチベーションが維持できる。ちなみにかなり厳しい状況ですが、今年10月受験はします。


生活スタイルは大きく変わった。
役所では8:30-17:00
いまは6:30-15:30

超朝型生活。
土日休みとはサヨナラ、シフト勤務。

給料は維持。ただ役所にいれば自動的に入ってきたボーナスとはやはりサヨナラなのでトータルでは下がる。

腐っても公務員、休みとボーナス(決して高くはないが)の面では恵まれていたのを改めて実感する。


仕事に対する姿勢はやっぱりものすごい差がある。
みんな必死に仕事してるし、当たり前だけど一日中ネットサーフィンとか居眠りしてる人なんていないし…どんな低レベルな話だよって感じですが。

責任感も全然違う。たとえば役所で扱う税務は、法律でガチガチに固められているし、いちばん丁寧にやらなければいけない仕事だが、実際、課税ミスはわりと頻繁に発生している。
なぜかというと、こちらが誤って税額を通知してしまったとしても、減額になる場合は過去5年間、増額は3年間遡って修正することができるから。
間違えても、ごめん!計算し直すから!で許されているところがある。
もちろん、運が悪いと賠償で訴えられる危険はあるが…


通関の仕事も税金が絡むが、ミスは許されないわけで、些細なミスで会社としての評判が下がったり、責任を取らなければならないし、その緊張感の違いを感じる。


まだ1週間なのでこれからもっと見えてくるものがあって、きっと辛いことももちろんあって。でもとりあえずいまはここで何かしらの結果を出せるようにがんばります。
それでは本日も仕事に行ってきます!

頑張りすぎてバカを見た話

新卒で第一志望の市役所に入庁し、期待を持って入庁式に臨んだ。

席次はそれなりにいい方だったから、もしかして希望の部署に入れるんじゃないかと思った。また、
入庁前に提出した希望部署についての用紙には、面接カードくらいの分量を書かされたので、人事もできるだけ希望に沿った配置をしてくれるはずだ、と世間知らずの自分は期待していた。


そして、入庁式当日。一人ひとり辞令が渡される。
わたしの配属先は……

希望部署にはかすりもしない、受験生の間でも有名な、激務部署だった。

うわーーーーー

それしか感想がなかった。幸い大所帯の部署ということで、同期も多かったから、皆で不安を共有できたことで少しだけ気が楽になった。


「公務員の配属ガチャ」とはよく言ったもので、本当に配属によってその後の人生が天と地ほど変わってくる。
そして、入庁前の希望通り、あるい希望に近い部署に配属されることはほぼほぼない。
第1〜3希望まで、きっちりと希望を理由付きで書かせるのにもかかわらず。

むしろ、希望の部署を外して配属を決めているという話もよく聞くし、実際先輩の異動先を見ていても、希望調査に書いたことを全く無視しているとしか思えない人事である。

行きたい部署に配属された方が皆一生懸命仕事をすると思うのに、本当によくわからない話だ。




とにかく、わたしは全く予想もしていなかった激務部署に入ることになった。
入庁して1ヶ月も経つと、新人にも担当が振り分けられた。期限付きでいついつまでにこれを全部終わらせてくださいと言われ、マニュアルを渡され、終了。

ペアの先輩によっては手取り足取り教えてくれ、さらに電話に出ている時も隣でずっと聞き耳を立ててくれて瞬時にアドバイスくれたりと、手厚い指導を受けている同期もいた。
わたしのペアの先輩は完全に放置。自分の仕事を終わらせ早く帰ることだけを考えていたので、こちらからアクションを起こさなければ基本何も教えてくれなかった。
一度、どうしても一人でやるには難しい案件があって相談したところ、マニュアルを見て頑張れ!と突き放され絶望したのでそれがトラウマになって質問しづらくなってしまった…



しかしそのおかげか、同期に遅れを取るまいと必死になって仕事をした結果、期限の3週間前に終わらせることができた。
係内の先輩たちにすごい!仕事早い!とおだてられいい気分でいられたのは束の間………


仕事が遅い先輩職員のノルマが全て回ってきたのだ。
芋子ちゃん余裕そうだから、という理由で。

そしてわたしは大先輩の仕事を押し付けられ、残業してやることになった。


そのときペアの先輩に言われたひとこと
「ここは頑張る人が損するからね、そこそこでやった方が得だよ。」

先に言えよ!!!!


まあそう言われれば全く仕事をしない職員も各係1名は必ずいて、担当を免除されていたり、仕事中3、4時間急に姿を消してもなんのお咎めもなかったり、仕事できない(やらない)人が明らかに得をしていた。
給料は年齢が高ければ、仕事ができる若手よりももらえるわけだし。

課長に至っては一日中Yahoo!ニュースを見ているだけだったし。


だからといって、わざと手を抜いて仕事をたらたらやったりできる性格ではなかったので、その後振られる仕事も極力残業しないように集中してやっていた。

そして、2年目。
同じタイミングで入った同期の2倍のリストを当たり前のように渡され、重い担当につけられ、さらには職場幹事もやれとのお達しがあった。
このとき初めて係長に軽い殺意を抱く…(笑)


笑えるくらいに他の職員との仕事量が違うのだが、給料は上がらないし、評価もきちんとされない。
一日14時間狭い役所で仕事して、だけどなんのスキルが身につくわけでもなく、自分の1/2の仕事しかないから悠々と定時に上がる同期にイライラして。

あ、もう精神的にダメかも。このままいったら課内に沢山いる休職者の仲間入りをしてしまう。
と思い、転職に踏み切ったのだ。


3年後、別の部署に異動できたらまた環境が違ってこんな思いはしないかも、と思ったが、配属ガチャに自分の人生を委ねるのはリスクが大きすぎる気がした。
それに、頑張る人が損をする、というのは役所内の共通認識のようなところがあったので、これ以上20代を無駄にしないようにしようと決意した。

以上が退職に至った一番大きな理由でした!

得るものが多かった派遣バイト

新卒で公務員になったわたしだが、大学時代は4か所でアルバイトを経験した。
うち3つは固定のバイトで、長いものは3年間続けた。

大学3年生の1月だったと思う、そろそろ公務員試験に本腰を入れなければという段になって、一番長く続けていた固定バイトを辞めた。
とはいっても、予備校のローン代など毎月の出費があるので、以前から登録だけしていた派遣バイトを利用して、空いた時間に不定期で働いていた。

派遣バイトでは、いろいろなところに派遣されおもしろい経験をさせてもらった。

カビキラーのようなスプレーを製造する下町の町工場、恵比寿の会場で服飾の展示会スタッフ、池袋のクラブで男性アイドルのチェキ会スタッフ、トラックの駐禁対策、かと思えば、二子玉川付近の寺に派遣されたこともあった。


正直派遣会社自体は怪しげな会社で、わたしたち登録スタッフを雑に扱ったり、人によっては派遣先でセクハラを受けたことを訴えたのに平気で無視されたりと、あまりいい印象はない。
しかし、バラエティに富んだ様々な場所で働く機会を与えてくれたので、わたしは利用して良かったと思っている。


派遣先での就業は、ひとりで行うときもあれば、他のスタッフと駅で待ち合わせて複数人で働くときもあった。
たった一日のうち数時間の労働を、初対面の人と行うのはなかなか面白い経験だ。

下は高校生から、上は30代くらいまで、見た目もこれまで歩んできた人生も、全く共通点のない人たちが集い、一応挨拶と軽い世間話をして、昼ごはんもなんとなく流れで一緒に食べ、お疲れ様でしたと言って別れる。

自分と同じように就活の合間にバイトしている人はむしろ稀で、モデルをやりながらとか、バンドをやりながらとか、なにか夢を追いかけながら、生活費を稼ぐために派遣に登録している人が多かった。


公務員試験に受かって、第一志望の役所から内定を貰ったあと派遣をしていた当時の自分は、そういう夢を追いかけているお姉さんたちを見ながら密かに優越感に浸っていたのは事実だ。

モデルの卵も売れないバンドマンも、生活の余裕がなさそうだし、身分の安定なんてないし、それに比べて自分の未来はどう考えても明るい!と。

それが、たったの3年後にはこの環境はダメだ〜と自主退職するのだからあの時の自分を笑ってやりたい。



旅行も同じことなのだが、結局自分を一番成長させてくれるのは、人との出会いだ。
派遣バイトでいろいろな人種と交わったことで、あの当時はなにも感じなかったけれど、今になってわかることもある。

なんとなく見栄とプライドで公務員になったわたしは2年と続かずにリタイアの道を選んだが、モデルの卵はまだモデルとして活動し、InstagramTwitterで発信している。
どちらが充実した人生を送っているか??
どちらが自分の時間を有効に使っているか??


そのときやりたいことを全力でやる。上手くいかなければそのとき考える。
それくらいシンプルで良いのかもしれない、人生。

東京マイナス2時間の世界

23年間の人生のすべてを東京で過ごしてきた自分にとっては、毎朝の満員電車も、足早に歩くサラリーマンも、清潔だがどこか無機質な街の風景も、すべてが当たり前の日常で、受け入れるしかない現実である。

しかし、東京人も当然東京生活で消耗し、しんどくなることがある。
そんなときわたしは東京マイナス2時間の世界に思いを馳せる。



カンボジア第二の都市、シェムリアップの風景を頭に思い描く。

シェムリアップには学生時代に2回訪れた。アンコールワットのある街で、外国人観光客も多く、発展している。

パブストリートと呼ばれる飲み屋街には、バーやクラブが軒を連ね、外国人観光客や地元のカンボジア人、夜になるとドラッグを売り出すトゥクトゥクドライバー、売春婦などありとあらゆる人種が入り乱れ、クラブから漏れる大音量の音楽に合わせて道の真ん中で踊る。
さながらバンコクのカオサンストリートのような雰囲気だが、その喧騒の中、耳をこらすとある音が聞こえてくる。

地雷被害者の奏でる民族音楽
ガンガンに流れるクラブミュージックの合間に、何とも言えないノスタルジックな音色が、溶け合うでもなく、かといって不協和音のようになるわけでもなく、ただ共存している。

それはまさにいま発展期を迎えているカンボジアの様子を表しているようで、観光客が昼から飲み、騒ぐ街のなかでもポルポト政権の爪痕が確かにまだ存在していて、決して無視してはいけないんだと思わされた。


カンボジアのことを思うといつも、何とも言えない不思議な感覚に陥る。
東京からマレーシア経由で約14時間。時差はたったの2時間。同じアジアの国なのに、東京にあるような地下鉄や、高層ビルや、清潔な街並みはない。

接客態度が悪いとコンビニ店員にキレる老人も、せかせかとロボットのようなサラリーマンも、どこにもいない。のんびりとゆっくりと時間も人も存在している。


カンボジアトゥクトゥクドライバーとして働く友人は、仕事の合間にほとんど独学で日本語を勉強し、ネイティブレベルに喋れる。いつか日本に行きたいというが、一日数ドルの稼ぎでは無理だと肩を落とす。
日本の大学生のほとんどは自分もそうだったように、たいして勉強もせず、少しバイトすればカンボジアに旅行に来て、好きなものを食べ好きな酒を飲み、好きなだけ遊べるのに、優秀な彼にはそれができないのは、単に生まれた環境が残念だったらなのか。日本に生まれ東京で生活をしていることはやはり非常にラッキーで、恵まれているのか・・・


答えの出ない問いをずっと考えている。


だから、東京で仕事や人間関係に行き詰ったとき、わたしは東京マイナス2時間のシェムリアップに思いを馳せる。
そうすることによって悩みが晴れるだとか、頑張ろうという気持ちになるとかではなく、
ただ、あの土地で今日も働くトゥクトゥクドライバーたちや、お祭り騒ぎの旅行者たち、客引きする売春婦、アンコールビール、クラブの喧騒、手足のない地雷被害者の楽団員たち・・・
それらが、たしかにこの瞬間も存在していることになんだか心が救われるのだ。


そして、またいつかわたしはあの土地を訪れるだろう。

あと1週間でやるべきこと

8月から新しい会社で働くのだが、同時に東京を出て地方へ移住することになる。

つまり、20年以上続いた東京生活もあと1週間。
ということで、残りの日々をどう過ごすかを考える。


①引っ越し作業

通関士勉強・中国語

③エクセル練習

④友人へのお別れの挨拶

意外とやることが多い。
引っ越し作業については、初めて実家を出て一人暮らしするので、あまり新居に持ち込むものはないのだが、それにしても全然進んでないのでさすがに焦りを感じる。住民票の移動も忘れないようにしないと・・・頑張ろう。

勉強系は淡々と進めるだけだが、面倒なのが各方面への挨拶。特に現職場の公務員の飲み会は本当に苦行といった感じで・・・

ま、早く次の生活に移れるように、最後の一週間を楽しみます。


また、来月以降、公務員退職の伝え方や、有給消化、手続きについても書いていきます。

失くしものが突然出てくる現象

よく物を失くすのだが、不思議な感覚に陥ることが多い。

さっきまで、あるいはほんの数日前までそこにあったはずのものが忽然と無くなって、何度探しても出てこない。諦めが悪いので数日にわたってあらゆる場所を探すのだがどうしても出てこない。そして、ああまたどこか別の所に行ってしまったんだと悟る。


2ヶ月前にはお気に入りのブレスレットを失くした。
転職活動で大阪のホテルに泊まって、翌朝スーツを着るときに外したのは覚えている。大切なものなので小さいポーチにしまってきちんと口を閉めた。
その翌日、ポーチを初めて開けてみると、ブレスレットは忽然と消えていた。中には酔い止めの薬のみ。どこかに落ちるはずもなかったが、念のためカバンの中も、スーツのポケットも、全ての持ち物を確認したが出てこない。
しばらく探したが、これは出てこないやつだと直感的に感じ、諦めきれない気持ちもあったがどうしようもないので忘れることにした。


そして、つい3日前のことだ。休暇を取ってやってきた台湾で、車に乗るため酔い止めを飲もうと例のポーチを開けたところ、そのブレスレットが中に入っていた。まるでつい先ほどそこへしまったかのように、当たり前の顔で…。

こういう現象を、物品移動現象 というらしい。
この世はパラレルワールドが複数存在していて、違う次元に物が移動してしまうことがあるという。
そしてその物が、またいつかのタイミングでぽとっとどこか別の次元から帰ってくる。


こうした不思議な現象に遭遇すると、どうしても何か意味があるはずだと考えたくなるが、実際は何の意味もない、ただの神のいたずらなのかもしれない。
それにしても、大阪で失くしたものが台湾で出てくるのは面白い。ちなみに、大阪の会社は合格し、そこで働くことになったので、有給消化のために旅行した先が台湾だ。

この怒涛の2ヶ月間、ひょっとしたら別の次元の自分がブレスレットを保管していてくれて、新しい人生が始まる前に戻してくれたのかもしれない。